今週の活動記録(2022年2月14日〜)

日々の読書や映画の記録を週単位でつけてみようと思う(「今週」とはアップした日を指さず、タイトルの括弧書きの月曜日が先頭となる1週間のことを指す)。

全体

ずっと懸案だった英語論文の執筆が一段落。代わりに新書の執筆が進んでいないが、しかしこの英語論文は最終的に新書の今書いているのとは別の章に組み込まれるので、新書全体で見れば進んでいる。ほかの進捗として、とある仕事で都市美学についてまとめている。これも自分が都市美学という枠組みで考えたいことをまとめるのに役立ち、今後数年間の研究の指針が見えてきている。

講義の準備はあまり捗っていないというか、単純に時間が取れていない。2022年度の前期は3コマで、うち2つが全く新しい内容で、片方は講義、片方は文献講読。1つは自分のこれまでの研究を俯瞰するようなもので、話すことはほぼすべて決まっているが、スライドは作る必要がある。ひとまず、新しい講義の準備は学期半ばの分までは終わらせたい。文献講読のほうは丁寧に扱う文献を読み、さらに関連する話題で他の文献もあたる必要があるので、春休みの残りはこれに結構時間を使いたい(最終的に新書の内容と関わるし、この文献講読の成果から1本学術論文も書きたい)。

子どもは元気で毎日保育園へ行ってくれたので、とてもよかった。うちの保育園はまだ入園以来一度も休園していない。運がいいのだろうか。子がなぜかわたしではないとだめ、ということが増えていて、夫はかなり育児しているのになぜ…となることがある。しかも最近、「たーたん」と、明らかにわたし=お母さんのことを意味する言葉を発し、こちらを見て呼びかけてくる。あらゆる関係においていかなる呼びかけや求めにも応じる必要があるとは当然言えないが、こと親と子という関係においては、特に子から親への呼びかけには応じる義務があるようにわたしには感じられてしまう。泣き声ではなく、名前のようなもので呼ばれると余計にそう思う。

読書

高橋絵里香『ひとりで暮らす、ひとりを支える−−フィンランド高齢者ケアのエスノグラフィー』(青土社、2019年)

フィンランドがすきなので、あまり自分の専門分野にこだわらずフィンランド、とつく本は結構読む。高齢者ケアのエスノグラフィーということで、自分の研究にはあまり関係ないような気もしたのだが、この本は第一章のタイトルが「風土」。群島町を含むフィンランドは冬の寒さが厳しく、また日照時間が短いことで知られる。また逆に、夏は白夜とまではいかずとも23時くらいまでは明るい。こうした気象条件が高齢者の意思決定や暮らしに及ぼす影響について記録される。独居の高齢者が、夏はそれを「自由」と受け止めても、冬には同じ状況が「孤独」に感じられるというように、自然のサイクルと人の気持ちのサイクルが連動することがある。それすらも「自然な」過程として受け止めるところに、高齢者の自己像や、それを理解して対応するケアワーカーの姿勢が生まれくるのではないかと著者は言う。この点は、環境美学者の視点からみても、興味深いものであった。

Richard Shusterman (ed.) Bodies in the Streets: The Somaesthetics of City Life. (Brill, 2019)

全部は読んでいなくて、序文とシュスターマン本人の論文にあたる1章のみひとまず。シュスターマンの論文は、人間の身体と、都市が共通して持つ特徴を挙げながら、群衆の持つ意味について語るもの。群衆は塊で見ると画一的にも思えるが、当然個々の人には多様性があり、互いの多様性をみることがさらにそれぞれの人に自己創造の機運を高めていくという指摘は面白かった。

北山恒『都市のエージェントはだれなのか』(TOTO建築叢書、2015年)

都市の美学をやりたいと思っていて、そこで都市という場所を「つくる」のはだれ/なにかという問題を考えたいと思っているので読んでみた。パリやシカゴ、ニューヨーク、そして東京の都市形成の歴史から、そこで都市をつくっているエージェントと呼べるものは何かを分析する。都市計画領域の文献をどんな観点から今後読んでいくかを考えるための参照点としてよかった。

平芳幸浩『マルセル・デュシャンとは何か』(河出書房新社、2018年)

数年ぶりに、授業準備のため再読。この本を読むと毎度デュシャンを読み解くことの楽しさに気付かされるので好き。今回はレディメイドを中心的に扱う講義をしようと思っているでそこを中心に、と思うのだが、アートではないなにかを作ったり、作品制作ではない仕方でアートと関わるデュシャンが面白すぎてその章ばかり読んでしまう。

映画

女が階段を上る時」(成瀬巳喜男監督、1960年)

Netflixの成瀬作品視聴期間が月末に迫っているので、少しずつ観ている。最初に「めし」を観てその古臭い女性の幸福感に面食らってしまったのだが、この作品はもっと複雑に、未亡人が生活を成すために銀座のクラブで働き、客にも店にも家族にも金も心も搾り取られながら、それでも生きていく姿を描いていて興味深く観た。客の妻からの電話で主人公がその妻に会いに行って衝撃の事実を告げられるとき、二人の周りを三輪車に乗った子どもがくるくる回るシーンがすき。あと全体として音楽が良すぎる。佃島と銀座の対比が、東京という街の時間の多層性を見せる。

「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(ジェーン・カンピオン監督、2021年)

もともとNetflixで気になってはいたのだが、アカデミー賞の候補ということで観てみようということになった。あらすじを見てもなんなんだ?という感じだったが、実際はかなり引き込まれる物語だった。紙で花を作る途中のフリンジと馬のたてがみの形の呼応、繰り返し映る窓の美しさなど、映像としても好きだった。誰の視点に立つこともゆるやかに拒まれ、そのためか劇的な出来事が起きるにも関わらず、じわーっと静かな気持ちで終われる。

「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イブニング・サン別冊」(ウェス・アンダーソン監督、2021年)

ついに観られた…!!好きな監督を聞かれたらウェス・アンダーソンとグザヴィエ・ドランと答えることになると思う。そのくらい好きでずっと楽しみにしていた。「スリー・ビルボード」で素敵だなと思ったフランシス・マクドーマンドも出るし。雑誌の映画化、とでも言えばいいのだろうか。白黒とカラーの切り替え、実写とアニメーションの切り替え、字幕の使用のような技巧もすんなりと溶け込んでしまう。しかし彼の映画を見るとき、いつも英語が聞き取れれば字幕を読まないで済み、もっと美術を細かく観られるのに…と思ってしまう(犬ヶ島では部分的にその欲求が満たされるわけだが)。

一番は決められないが、わたしがウェス・アンダーソンで好きなのを3つ選べと言われたら(かなり悩んで)、「天才マックスの世界」「ロイヤル・テネンバウムス」「グランド・ブダペスト・ホテル」となっていたが、「フレンチ・ディスパッチ」もこれらの仲間に入ってしまいそうなので、いっそ「ファンタスティックMr. Fox」を加えて好きなの5つ選ぶ、というのに変えてしまおうかと思う。

今週はあまり趣味の本が読めなかったので、来週は読書にも力を入れたい。