JAAC 環境美学特集号「善いもの、美しいもの、環境にやさしいもの:環境保護主義と美学」(2018年)序文に関して考えること

アメリカ美学会の雑誌 Journal of Aesthetics and Art Criticismで昨年、環境美学特集号”The Good, the Beautiful, the Green: Environmentalism and Aesthetics”が編まれました。しばらくこの特集号に載っている論文を紹介しようと思っているのですが、今日はまずその序文を見ながらこの特集号の背景を確認したいと思います。

そもそも今回の特集号は、2016年5月にアメリカ・インディアナ大学で行われた環境倫理・環境美学ワークショップの成果として編集されたものです。

http://www.indiana.edu/~envirowb/presenters/

このときは私も初・一人海外でインディアナまで行きました。今はどうか知りませんが、当時シカゴの地方紙で記事になるくらいオヘア空港のセキュリティチェックにものすごい時間がかかっていて、明らかに一人で困惑しているアジア人の私を周りの人が大変気遣って助けてくれたのですが(係員に「この子は日本から一人で来て困ってる!!なんとか先に回してあげられないか???」と交渉してくださった方々、今でも感謝しています)、それでもオヘアからインディアナへの乗り継ぎで予定していた便に乗れず、、、なんとかインディアナ空港にたどりついてスタバで買い物したときはホッとしましたが、今度は空港から大学のある街・ブルーミントンまでのバスに乗った途端沿道にガンショップがあってめちゃくちゃビビりました。。。

それでも、アレン・カールソンにエミリー・ブレイディにグレン・パーソンズ、しかもノエル・キャロル…プレゼンはなかったものの、主催のサンドラ・シャプシェイも現代の環境美学と崇高論の関係について論文がある。これは環境美学ドリームチームで、何としてでも行かなければならなかった。

このワークショップのために日本から来たと言ったらパーソンズに「うそでしょ笑」と笑われたけれど、逆に英米系環境美学の研究発表なんて日本にいたら聴けないので、アメリカくらいなら全然行きますわ!!!と元気よく答えたのを覚えています。

さて肝心のワークショップはというと、かなり「古典回帰」的な印象がありました。環境美学はそもそも1970年ごろ、自然保護の動きと連動するかたちで発展した美学の一分野ですが、そののち自然に限らず都市などの日常的な環境へと論題が拡張されていき、自然保護にとって自然の持つ美的価値は一つの根拠になりうるのか、という問いについて新たに論文が出るというような状況ではなくなっていたように思います。

しかしこのインディアナでのワークショップは、自然保護という問題に焦点を当てて環境倫理と環境美学との関係を捉えるという、環境美学にとって古典的な問いに対して真正面から立ち向かうような発表を中心にプログラムが組まれていました。そして、その精神は今回のJAACの特集にも引き継がれています。むしろ、より強く。

というのも、この特集号の序文(シャプシェイとその指導学生リーヴァイ・テネンによるもの)は次のように始まります。

「多くの団体にとって今日、人間が地球の気候に対して影響を及ぼしているということは議論の余地なき、非常に懸念すべき事実とみなされている。しかし、人間が原因である気候変動の影響がより声高に宣告されるようになっている一方で、米国における政治の気候は環境問題に対してより敵対的になっている。例えば、気候科学者や環境保護主義者は政策の深刻な後退に直面している。一部だけを取り上げても次のような事情がある。トランプ内閣はパリ協定から米国を撤退させ、気候科学への資金提供を組織的に打ち切り、遺跡保存法を利用してベアーズイヤーズやグランド・ステアーケース=エスカランテの保護区域を縮小し、産業に対する環境の観点からの規制を後戻りさせた。不幸なことであるが、これがこの特集号を我々が世に出す際の政治的背景である。我々は、この特集号の論文が、今日なされている政治的決定やそれが未来にもたらす影響に関して議論されるべきさまざまな問いについて、批判的に思考するよう読者を駆り立てることを願う。」(JAAC 74(4), p. 391. 拙訳)

2016年5月、先に述べたワークショップが行われたとき、トランプ政権はまだ誕生していませんでした。私はインディアナでのワークショップのあとシカゴに戻り現地にいる自分の親戚に会ったが、彼らのトランプに対する警戒心は会話の端々から感じ取ったのを覚えています。いまや、トランプ政権は3年目を迎えました。この間に取られた政策について、私は恥ずかしながらパリ協定の件くらいしかきちんと理解していなかったけれど、序文に挙げられているようにさまざまな環境問題に関する政策の変更があった。

(引用中にある「ベアーズイヤーズ」や「グランド・ステアーケース=エスカランテ」の件とは要するにこれまでの大統領が制定してきた保護すべき区域を縮小したということだ。遺跡保存法(the Antiquities Act)に基づいて制定された保護区域を、同じこの法律を根拠に縮小するというのはどういうことかというと、要はこれまでの保護区域は法律で言われる適度な範囲を超えて広すぎたのだ、という主張をトランプ政権がしているということらしい。)

この序文を読んで、私は「またしても」英米系環境美学のことを切実に理解できてはいなかったのだ、と考えさせられた。またしても、というのはつまり、これまで2011年ごろから8年間英米系環境美学の研究をしてきた私は、常に北米における環境保護の意識の切実感を実感として理解できないことによってつまづいてきました。逆にこうしたある種政治的にすぎる問題からは距離を置いて、なるべく「純粋な」美学的研究(環境における美的経験の分析など)に取り組むことで博士論文を終えたものの、英米系環境美学がトランプを前に50年前の古典的問いへと回帰しているいま、私もまた日本で環境美学を学ぶ者として環境倫理とのつながり、あるいはつながらなさを意識しながら研究を進めていく必要があるのかもしれない。

こうした問題意識から、この特集号の論文を一つ一つ紹介し、最終的にこの特集号が古典的問いに対して新たな解答を提示しているのか、あるいは問いの枠組みそのものを変更するような議論ができているのか、見定めていきたいと思います。