アアルトのもうひとつの自然と(inter)national:「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」@東京ステーションギャラリー

アルヴァ・アアルトの展覧会へ行ってきた。葉山でやっていたときに会期ギリギリに滑り込もうと思っていたのだが、捻挫をして歩けなくなったので敢え無く断念。「治るのには3ヶ月かかる」と言われたわたしの左足首がちょうど痛まなくなったいま、名古屋へ巡回していたアアルトが東京ステーションギャラリーまで帰ってきてくれた。会期は4月半ばまであるが、前回と同じようなことが起きないようにと早めに行ってきた。

アルヴァ・アアルト(1898-1976)は20世紀フィンランドを代表する建築家・デザイナーである。彼の出身校であるヘルシンキ工科大学は現在アアルト大学という名称になっているが、これはまさしく彼の名にちなんだものであり、ヘルシンキからメトロで10分程度の距離にあるオタニエミキャンパスは彼の手による建築が見られる。

アアルト大学図書館(撮影筆者)

今回の展覧会の副題「もうひとつの自然」、英語表記ではsecond natureは、自然と人間との関係を考えてつくられたアアルトの建築そのものが新たに「自然」となる、ということを意味している。どういうことか、というのはもしかするとアアルトの作品を見ると簡単に自明なこととして理解できるかもしれない。彼の作品は、そのもっともポピュラーなフラワーベースに表れているように曲線を特徴とする。

アアルトデザインのフラワーベース(ヘルシンキのホテルにて、筆者撮影)

建築物についても、屋根などに曲線が使われる。直線よりも自由なかたちである曲線は、より強く自然を想起させる。確かにアアルトの作品はこのレベルで「自然」であると言えるし、それは我々人間の日常のなかに自然を取り返す試みであるとも言えるだろう。彼の代表作にはバイオミのサナトリウムがあるが、そこで彼は患者たちのために太陽光の入り方の調整や、照明や家具のデザインを通じて視覚や触覚など多数の感覚を用いて享受される静養の環境を生み出した。これは人間の身体に備わった「自然な」機能を少しでもよく働かせようとする工夫であって、すなわち人間の側に自然を取り返す試みの一つであると解釈可能だ。

だが今回の展覧会で気づかされたのはこの観点のみではない。展覧会は8章構成となっていて、6章は「融通性のある規格化と再構築」と名付けられている。ここでの解説によれば、アアルトは「製品」として出荷効率を上げつつ「作品」として個性を持つものを生み出すために、自然界をモデルにしたというのだ。どういうことかというと、彼は果実が皆同じパーツを持ちながらも個々の果実は少しずつ異なっていることをモデルとし、自身の作品も生産しやすいパーツの種類を固定し、それらの組み合わせなどを応用することで個性ある作品を生み出していったというのだ。確かに彼のデザインした家具の脚やタイルなどのパーツの展示には、動植物の標本を見るような楽しみがある。

アアルトの仕事はさらに、フィンランドという国家の位置付けとも大きく関わっている。このことも展覧会の端々から感じ取ることのできる構成となっていた。まず彼は、中世イタリアの建築、コルビュジェによるパリの建築、さらにベルリンで観た舞台まで、他国で得たものを存分に自分の建築に生かしている。そして彼が妻らと共同で1935年に設立した会社「アルテック」は単に製品を生産・販売するだけではなく、展示会や啓蒙活動を通じて国際的なモダニズムの思想をフィンランド国内で広めることも理念として掲げていた。1917年に独立を果たしたばかりであったフィンランドにとって、国際的な水準の文化を取り入れ、伝えることは重要な仕事であったのだろう。現在でもフィンランドはデザインや建築を国のアイデンティティとして掲げているが、その背景にはアアルトらの取り組みがあったと言えるのかもしれない。

そしてこの彼の国際的な見取り図のなかでフィンランド国家を位置付け、唱道する試みは、1939年のニューヨーク万国博覧会フィンランド館での取り組みでひとつの結実を見ている。彼はフィンランド館において、得意の曲線を用いて室内の壁を作り、それをフィンランドのオーロラに見立てる。さらにその壁には、フィンランドの風土を写した写真が飾られたという。このとき、彼の「もうひとつの自然」は、国際的な場でフィンランドという国家を見せる、ある意味では自然からはかけ離れた機能を負わされている。万博用に制作された映像(フィンランドの国土、産業、レジャーそして戦争が次々に映し出される)を見ながら、そのようなことを考えた。

とにかく満足の内容で、しかも帰りにショップでエーリク・ブルーンの自然保護協会ポスターを使ったクリアファイルも手に入れてるんるんである(アザラシの絵で、前に本で見てすごく気にいっていた)。