活動記録(20220403)

最近全然活動記録を書けていなかった。4月の着任に向けて忙しかったというのもあるのだが、それ以上に活動記録をいきなりちゃんと書こうとしすぎていたことが問題だと思う。なのでもうちょっとラフに、でも定期的に書くことを目標にしたいと思う。

ところで4月から群馬県立女子大学で仕事をすることになったのだが、育児の都合で引っ越しをすることができないので、2時間30分くらいかけて通勤することになった。なので、時間の使い方が肝心だなということになり、ちょっと頭の中を整理していた。

今、抱えている仕事は大きく分けて6つのカテゴリーになると思われる。

・新書執筆

・今年度書きたい論文3本(うち2本は絶対書かないといけない)

・発表準備(WOMEN: WOVENの応哲WSなので上記の書きたい論文に関する発表ではない)

・講義とゼミの準備

・大学の仕事

・純粋な勉強

講義があるのは月曜日と金曜日、そのほか大学の仕事などで基本的には出勤が2日あるので合計4日。自宅研修日が1日。土日は家族との時間なので、この昼寝時間に本を読むくらいはするにしても、そのほかはやらない。それを踏まえてなんとなくで決めたルールは以下。

・出勤日は、行きの時間は新書執筆、帰りの時間は講義準備に充てることにする。前期の講義準備の貯金がプラス2週間くらいまで進んでいたら、一度ストップして後期の講義準備のための計画を立てる(後期のほうがコマ数が多く、しかも1年生向けの概論という重めミッションがあるので、早めの対策が必要)。

・自宅研修日は午前に新書執筆、午後に今週やらないとまずいタスク(カテゴリー不問)と、時間が空けば純粋な勉強。

・講義以外の出勤日のうち、会議のある日は大学の仕事。会議のない日は今年度書きたい論文の執筆(発表準備が入っているときはそちらを優先)。

たぶん実際に始まってみるとこれが絵に描いた餅であることがわかるようになるとは思うのだが、それでもちゃんと執筆の時間を取っていくという強い覚悟をしなければいけないと思うのでここに記しておく。ただまずは、体力と気力を維持することが大事なので、睡眠と趣味の時間の確保を大事にしていきたい。

今週の活動記録(2022年2月21日〜)

全体

今週はオンラインでのミーティングやウェビナーの聴講が多めだった。月曜日に都市美学関係の打ち合わせが一件とWOMEN: WOVENの次回イベントの打ち合わせが一件、木曜日に翻訳検討会が一件と東大の山本千寛さんがアンリ・ルフェーブルについてご講演されるのを聴いていた。こう書くとたった4件、そんなに多くないじゃん?というかんじがす流が、そもそも今週は天皇誕生日で4日間しか仕事できる日がなかったうえ、コロナ休園を食らってさらに1日減り3日間になってしまった。

そのほかやったことは大まかに2つで、ひとつは新書の準備。日常美学についての入門書だが、入門書でも自分の考えについても当然まとめる必要がある。今やっている章はだいたいプロットはできていて、そこをつないでいくための材料集めをしている。

もう一つは講義の準備で、ジョン・デューイ『経験としての芸術』そのものと、関連文献を読む作業。

ちょっと今、やることの種類が多くなりすぎているかんじがあるので、数を減らさないといけない。そのために、さっさとやれば終わることについては日を決めて一日で集中砲火的にやってしまい、やることを減らすべきかもしれない。

先日、子どもにたまごを見せたらものすごく喜んでいた。確かにたまごはとても美しいかたちをしている。

読書

Glenn Parsons, The Philosophy of Design (Polity, 2016)

新書の準備で再読。4年ぶりにきちんと読んだが、とにかく議論の筋がクリアで、育児しながら研究しないといけない休園の日でもメモを取りながらでも読めて感動した。モダニズムにおける機能主義の議論を哲学的に突き詰めていくさまは面白い。一切の表現を廃して機能的であることによって、むしろ対象が象徴性を帯びるという指摘は重要。

Glenn Parsons and Allen Carlson, Functional Beauty (Oxford University Press, 2009)

こちらも再読中。最初のほうの、美学史のなかで美と有用性がどのように結び付けられたり切り離されてきたりしたのかという整理が参考になる。今、わたしは主にイスという家具に注目して機能美について考えているのだが、哲学者はイスに座っている生き物だからなのか、機能美の歴史的議論のなかで具体例としてイスに言及されているケースはかなり多い。そしてよく見てみると、この本の表紙もイスが描かれているな。

西郷南海子『デューイと「生活としての芸術」: 戦間期アメリカの教育哲学と実践』(京都大学出版会、2022年)

デューイの思想がバーンズ財団とのコラボや、連邦美術計画などの実践のなかにどのように生かされていたのかを明らかにする書。特に連邦美術計画における、インデックス・オブ・アメリカン・デザインという取り組みが面白かった。18世紀後半から19世紀末までの日用品を手描きにて記録するもの。生活のなかに「芸術」を見出すデューイ的視点の実践と言える。私自身はデューイの『経験としての芸術』が日常美学の領域で参照されることの意義について考えたいのだが、この本は実践との関係のなかでデューイを捉える視点がとても参考になる。注やコラムから著者の息遣いが聴こえるのもたのしい。

ポエル・ヴェスティン著、畑中麻紀・森下圭子訳『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』(フィルムアート社、2021年)

600ページを超すトーベ・ヤンソンの人生と仕事に関する詳細な記述。昨年、映画「TOVE/トーベ」を観たがそれはあくまでフィクション的な要素も強いとのことだったので、もっと詳しく彼女について読みたいと思って手に取った(スナフキンのモデルとなったと言われるアトスとの恋愛関係の終わりは映画では非常に抒情的であったが、実際はもっとドラマ性のないものだったようだHighmore)。奇しくもこれを読んでいる最中にロシアが戦争を起こしたが、トーベもまたロシアとフィンランドの戦争によってその人生や創作を方向づけられている。絵画を本業としつつ、ムーミンやその他の執筆をして暮らしていく、その際どこでバランスを取るべきか悩む彼女の姿は、研究者として生きる私にも共感を持って見つめられるものである。家族や恋人を大事に思い心を砕きながらも、つねに自由であろうとする態度も、強く共感できる。

小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書、2021年)

SNSでシェアされていたウクライナ人のことばで、ロシアとの戦争は今始まったのではなく、もう2014 年からずっとロシアはウクライナを痛め続けているのだというものがあった。ロシアの論理、すなわちNATOが加入国を増やすことで少しずつロシアに対して力を行使しているのだからそれを抑制したい、ということ、ハイブリッド戦争というタームが一人歩きするなかでそれでもやはりロシアはまだ実戦をベースと捉えていることなど、特に前半は分かりやすく理解できた。

映画

ノマドランド(クロエ・ジャオ監督、2021 年)

フランシス・マクドーマンド演じる主人公が暮らしていたまちネバダ州エンパイアは、工場閉鎖に伴いまちそのものがなくなってしまう。家とコミュニティを失い、また夫も失った主人公は、自家用車を家にして仕事を転々としながら暮らす。車の家は、劇中彼女が訪れる二つの立派な家に比べるとよるべなさを感じざるを得ないが、たとえそこが車であっても、自分の大切なものが詰まれた車のなかで、自分の心を自分の「家」と考える主人公。大切な皿が割れても自分でそれを継いで元通りにする逞しさ。自分の居場所をなんとか、ギリギリのところで守るその生活をロマン化する姉の視線。多分この話は、今書いている新書でも言及することになる。とにかくマクドーマンドが良すぎて大好きだということも再確認。

浮雲(成瀬巳喜男監督、1955年)

名作なのはわかるのだが、個人的にはきつかった。もちろん戦争が誰にとっても等しく傷になっているのだそうが、しかしそうだとしてもこれはただただ冨岡が嫌な男だという話としてしか受け止められず、愛とか悲劇とか何も感じられなかった。ただもうこれは好みの問題だと思う。

乱れる(成瀬巳喜男監督、1964年)

同じ成瀬でもこちらはすごく好きだった。スーパーマーケットが押し寄せてきて、もう「戦後」ではなくなろうとする時代に、戦争をどのように経験したかということに決定的なズレがある主人公たちがどうしても結ばれない様子。こちらは悲しい、と思った。清水から銀山温泉への鉄道の旅。「浮雲」の伊香保よりはっきりとその地名の理由などに言及される銀山温泉は、観光的なものの発展を感じさせる。結局すべてを失って家に残された、常にどうしていいかわからない母親はあのあとどうなるのだろうか。娘たちのどちらかが引き取るのだろうか。ところで私の母は1963年生まれ。清水と東京ではまた様子が違ったのだろうが、この頃すでに母が生きていたと思うと驚いてしまう。

今週の活動記録(2022年2月14日〜)

日々の読書や映画の記録を週単位でつけてみようと思う(「今週」とはアップした日を指さず、タイトルの括弧書きの月曜日が先頭となる1週間のことを指す)。

全体

ずっと懸案だった英語論文の執筆が一段落。代わりに新書の執筆が進んでいないが、しかしこの英語論文は最終的に新書の今書いているのとは別の章に組み込まれるので、新書全体で見れば進んでいる。ほかの進捗として、とある仕事で都市美学についてまとめている。これも自分が都市美学という枠組みで考えたいことをまとめるのに役立ち、今後数年間の研究の指針が見えてきている。

講義の準備はあまり捗っていないというか、単純に時間が取れていない。2022年度の前期は3コマで、うち2つが全く新しい内容で、片方は講義、片方は文献講読。1つは自分のこれまでの研究を俯瞰するようなもので、話すことはほぼすべて決まっているが、スライドは作る必要がある。ひとまず、新しい講義の準備は学期半ばの分までは終わらせたい。文献講読のほうは丁寧に扱う文献を読み、さらに関連する話題で他の文献もあたる必要があるので、春休みの残りはこれに結構時間を使いたい(最終的に新書の内容と関わるし、この文献講読の成果から1本学術論文も書きたい)。

子どもは元気で毎日保育園へ行ってくれたので、とてもよかった。うちの保育園はまだ入園以来一度も休園していない。運がいいのだろうか。子がなぜかわたしではないとだめ、ということが増えていて、夫はかなり育児しているのになぜ…となることがある。しかも最近、「たーたん」と、明らかにわたし=お母さんのことを意味する言葉を発し、こちらを見て呼びかけてくる。あらゆる関係においていかなる呼びかけや求めにも応じる必要があるとは当然言えないが、こと親と子という関係においては、特に子から親への呼びかけには応じる義務があるようにわたしには感じられてしまう。泣き声ではなく、名前のようなもので呼ばれると余計にそう思う。

読書

高橋絵里香『ひとりで暮らす、ひとりを支える−−フィンランド高齢者ケアのエスノグラフィー』(青土社、2019年)

フィンランドがすきなので、あまり自分の専門分野にこだわらずフィンランド、とつく本は結構読む。高齢者ケアのエスノグラフィーということで、自分の研究にはあまり関係ないような気もしたのだが、この本は第一章のタイトルが「風土」。群島町を含むフィンランドは冬の寒さが厳しく、また日照時間が短いことで知られる。また逆に、夏は白夜とまではいかずとも23時くらいまでは明るい。こうした気象条件が高齢者の意思決定や暮らしに及ぼす影響について記録される。独居の高齢者が、夏はそれを「自由」と受け止めても、冬には同じ状況が「孤独」に感じられるというように、自然のサイクルと人の気持ちのサイクルが連動することがある。それすらも「自然な」過程として受け止めるところに、高齢者の自己像や、それを理解して対応するケアワーカーの姿勢が生まれくるのではないかと著者は言う。この点は、環境美学者の視点からみても、興味深いものであった。

Richard Shusterman (ed.) Bodies in the Streets: The Somaesthetics of City Life. (Brill, 2019)

全部は読んでいなくて、序文とシュスターマン本人の論文にあたる1章のみひとまず。シュスターマンの論文は、人間の身体と、都市が共通して持つ特徴を挙げながら、群衆の持つ意味について語るもの。群衆は塊で見ると画一的にも思えるが、当然個々の人には多様性があり、互いの多様性をみることがさらにそれぞれの人に自己創造の機運を高めていくという指摘は面白かった。

北山恒『都市のエージェントはだれなのか』(TOTO建築叢書、2015年)

都市の美学をやりたいと思っていて、そこで都市という場所を「つくる」のはだれ/なにかという問題を考えたいと思っているので読んでみた。パリやシカゴ、ニューヨーク、そして東京の都市形成の歴史から、そこで都市をつくっているエージェントと呼べるものは何かを分析する。都市計画領域の文献をどんな観点から今後読んでいくかを考えるための参照点としてよかった。

平芳幸浩『マルセル・デュシャンとは何か』(河出書房新社、2018年)

数年ぶりに、授業準備のため再読。この本を読むと毎度デュシャンを読み解くことの楽しさに気付かされるので好き。今回はレディメイドを中心的に扱う講義をしようと思っているでそこを中心に、と思うのだが、アートではないなにかを作ったり、作品制作ではない仕方でアートと関わるデュシャンが面白すぎてその章ばかり読んでしまう。

映画

女が階段を上る時」(成瀬巳喜男監督、1960年)

Netflixの成瀬作品視聴期間が月末に迫っているので、少しずつ観ている。最初に「めし」を観てその古臭い女性の幸福感に面食らってしまったのだが、この作品はもっと複雑に、未亡人が生活を成すために銀座のクラブで働き、客にも店にも家族にも金も心も搾り取られながら、それでも生きていく姿を描いていて興味深く観た。客の妻からの電話で主人公がその妻に会いに行って衝撃の事実を告げられるとき、二人の周りを三輪車に乗った子どもがくるくる回るシーンがすき。あと全体として音楽が良すぎる。佃島と銀座の対比が、東京という街の時間の多層性を見せる。

「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(ジェーン・カンピオン監督、2021年)

もともとNetflixで気になってはいたのだが、アカデミー賞の候補ということで観てみようということになった。あらすじを見てもなんなんだ?という感じだったが、実際はかなり引き込まれる物語だった。紙で花を作る途中のフリンジと馬のたてがみの形の呼応、繰り返し映る窓の美しさなど、映像としても好きだった。誰の視点に立つこともゆるやかに拒まれ、そのためか劇的な出来事が起きるにも関わらず、じわーっと静かな気持ちで終われる。

「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イブニング・サン別冊」(ウェス・アンダーソン監督、2021年)

ついに観られた…!!好きな監督を聞かれたらウェス・アンダーソンとグザヴィエ・ドランと答えることになると思う。そのくらい好きでずっと楽しみにしていた。「スリー・ビルボード」で素敵だなと思ったフランシス・マクドーマンドも出るし。雑誌の映画化、とでも言えばいいのだろうか。白黒とカラーの切り替え、実写とアニメーションの切り替え、字幕の使用のような技巧もすんなりと溶け込んでしまう。しかし彼の映画を見るとき、いつも英語が聞き取れれば字幕を読まないで済み、もっと美術を細かく観られるのに…と思ってしまう(犬ヶ島では部分的にその欲求が満たされるわけだが)。

一番は決められないが、わたしがウェス・アンダーソンで好きなのを3つ選べと言われたら(かなり悩んで)、「天才マックスの世界」「ロイヤル・テネンバウムス」「グランド・ブダペスト・ホテル」となっていたが、「フレンチ・ディスパッチ」もこれらの仲間に入ってしまいそうなので、いっそ「ファンタスティックMr. Fox」を加えて好きなの5つ選ぶ、というのに変えてしまおうかと思う。

今週はあまり趣味の本が読めなかったので、来週は読書にも力を入れたい。