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活動記録(20220403)

最近全然活動記録を書けていなかった。4月の着任に向けて忙しかったというのもあるのだが、それ以上に活動記録をいきなりちゃんと書こうとしすぎていたことが問題だと思う。なのでもうちょっとラフに、でも定期的に書くことを目標にしたいと思う。

ところで4月から群馬県立女子大学で仕事をすることになったのだが、育児の都合で引っ越しをすることができないので、2時間30分くらいかけて通勤することになった。なので、時間の使い方が肝心だなということになり、ちょっと頭の中を整理していた。

今、抱えている仕事は大きく分けて6つのカテゴリーになると思われる。

・新書執筆

・今年度書きたい論文3本(うち2本は絶対書かないといけない)

・発表準備(WOMEN: WOVENの応哲WSなので上記の書きたい論文に関する発表ではない)

・講義とゼミの準備

・大学の仕事

・純粋な勉強

講義があるのは月曜日と金曜日、そのほか大学の仕事などで基本的には出勤が2日あるので合計4日。自宅研修日が1日。土日は家族との時間なので、この昼寝時間に本を読むくらいはするにしても、そのほかはやらない。それを踏まえてなんとなくで決めたルールは以下。

・出勤日は、行きの時間は新書執筆、帰りの時間は講義準備に充てることにする。前期の講義準備の貯金がプラス2週間くらいまで進んでいたら、一度ストップして後期の講義準備のための計画を立てる(後期のほうがコマ数が多く、しかも1年生向けの概論という重めミッションがあるので、早めの対策が必要)。

・自宅研修日は午前に新書執筆、午後に今週やらないとまずいタスク(カテゴリー不問)と、時間が空けば純粋な勉強。

・講義以外の出勤日のうち、会議のある日は大学の仕事。会議のない日は今年度書きたい論文の執筆(発表準備が入っているときはそちらを優先)。

たぶん実際に始まってみるとこれが絵に描いた餅であることがわかるようになるとは思うのだが、それでもちゃんと執筆の時間を取っていくという強い覚悟をしなければいけないと思うのでここに記しておく。ただまずは、体力と気力を維持することが大事なので、睡眠と趣味の時間の確保を大事にしていきたい。

学振PDの出産・育児③非常勤講師の仕事

2021年1月に出産予定ということが判明した時点で、まず考えなくてはいけない手続きの2つめは非常勤講師の仕事をどうするかということでした。結論から言うと、私の場合、コロナの影響ですべての講義がオンラインorオンデマンドだったことが幸いしました。

出産に関わってくる2020年度後期は、3コマの講義を担当予定で、そのうち1 コマがリアルタイムのオンライン配信、2コマがオンデマンド配信でした。リアルタイム配信は1月に1回だけ講義がありましたが、それは休講とし、代わりに年内に補講を行いました。また、オンデマンド配信については年内にすべての動画を配信しておき、学生さんには自分のペースで受講していただきました。最後2回分の講義のフィードバックは、出産が済んだあとで文章にして別途アップロードしました。

どの大学に対しても、安定期に入るのを待って、出産予定の旨を窓口になってくださっている専任の先生にメールで報告させていただきました。その際、上記のような対応を取ることを希望していることを伝え、これで何か大学的に問題がないかどうかを確認していただきました。

つまり私は、非常勤講師の仕事については産休・育休を取らなかったということになります。取る場合にどのような手続きが必要になるのかも全く調べませんでした。すべてコロナと、出産予定時期が1月という学期末の時期だったために可能になった綱渡りということになります。

この綱渡りで非常勤の仕事を辞めないで済んだのは大変ありがたかったのですが、つらかったのは採点作業でした。3コマ中1コマは、子の誕生が少し遅れたこともあり、出産前に最終レポートの採点を終えることができました。しかし残り2コマは、産後1週間程度休んだ段階で、早速採点をしなければ間に合いませんでした。幸い夫が育児休暇的な休みを2週間だけ取っていたので、そこでなんとか手が空いたときに少しずつ進めていきました。

今思うと、こういうちょっとずつの無理が積み重なっていき、生後7ヶ月半で保育園に入れる直前までにはかなりの疲れやストレスがあったと感じます。本当なら休みたかったです。でも、ポスドクにとって、非常勤の仕事を手放すことほど恐ろしいことはないのではないでしょうか。こういう状況は改善されてほしいです。

ちなみに、産後3ヶ月のころにスタートした2021年度は、本来であれば前期2コマ、後期4コマの講義を担当する予定でした。しかし通年出講予定の大学でフルオンデマンドが選択できなかったため、特に前期は出講が不可能であったこともあり、代わりの人にお願いしました。そのため前期1 コマ、後期3コマとなり、保育園が始まる前の前期1コマは家族に協力してもらったり、子どもが寝たあとの時間で準備をしてオンデマンド配信をしました。

そのため、学振PDについては採用中断期間を取りましたが、非常勤の仕事を途切れさせたことはありません。でも、これも本当にプレッシャーで、たった1コマと思われるかもしれないけれど、毎週のように涙を流して準備していました。人によっては、私が出産・育児を経てもある程度変わらず仕事をしていることを褒めてくださいます。それについては嫌な気はもちろんしないものですが、しかし主観的には本当につらい時期だったということだけは、忘れないでおきたいと思っています。

今週の活動記録(2022年2月28日〜)

全体

2月が終わり、3月が始まった。そろそろこの春休み中にできることはどこまでなのかをよくよく考えて行動しなければならない時期になった。そのためにもまず、手をつけているが終わっていないタスクの数を減らすことが重要ではないかと考えた。そこで今週は、ほとんど1つのことに集中してみた。それはジョン・デューイ『経験としての芸術』を通読しなおすこと。新学期、この文献を講読するのだが、まだどの章を読むべきなのか悩んでいたので。とはいえやはり、3〜5章を読むことにはなるだろう。そのほかは適宜、私が講義のなかで言及するかたちになるだろうか。

これ以外は、ジュディ・シカゴを中心的に扱う講義2回分の準備を終えた。今週はこれでかなり新学期に向けての準備が進んで、見通しが見えてきたので、精神的には楽になってきたが、同時に新書の執筆が止まってしまっているので、来週はこれを再開させてメインタスクに据えつつ、そのほかまだ微妙に終わっていなくてモヤモヤする作業を進めることになるだろう。

読書

黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』(中公新書、2002年)

ぬくぬく読書をするのはどうなのかと思いつつも、しかしそれができる自分は少しでも何か知ることから始めたい。それでこの本を手に取った。スキタイ文化にまで遡る圧巻の情報量だった。近現代において、ウクライナが何度も独立を阻まれてきたこと、それにはこの地の地政学的重要性が絡んでいたことなどを学ぶ。またロシアとウクライナの文化的交流の側面も大事だと思う。チャイコフスキーはウクライナを訪れて創作の源泉を得たりしていたらしい。ロシアのウクライナ侵攻は許容されるべきでは断じてないが、しかしロシアの作曲家のコンサートを控えるなどの文化のうえでの対処は、少し慎重に考えられるべきではないかと思う。

私はベルリンの壁崩壊のころ生後2ヶ月、ソ連崩壊のころは2歳になったばかりのはずである。何も記憶にない。そのときの世界の衝撃はどのようなものだったのだろうか、ということも考える。

ジュディ・シカゴ著、小池一子訳『花もつ女:ウエストコーストに花開いたフェミニズム・アートの旗手、ジュディ・シカゴ自伝』(PARCO出版、1980年)

講義準備にて。男性中心主義的な芸術界において、女性は女性であるというだけで、その地位の改善のための活動を余儀なくされてしまう傾向にあるという指摘は本当にそうだと思う。女性であるというだけで支払うべきコストがあるということ。1972年のウーマン・ハウスでの創作過程は特に、女性として表現するということにどう向き合うのかということの記録であり、ここを講義でゆっくり読むことに決めた。

ジョン・デューイ著、栗田修訳『経験としての芸術』(晃洋書房、2010年)

講読は邦語で行う予定なので(英文は私が適宜言及)、こちらで通読。デューイの建築論が面白いのではないかと思う。建築と日用品のあいだの彼の態度の微妙な違いを感じていて、そこを起点に彼の美的経験論をよりよく理解し、その日常美学におけるポテンシャルについて正当に評価できるようになるのではないか。このような見立てで研究を進めたい。

Elisabetta Di Stefano, “CARCERAL AESTHETICS. ART AND EVERYDAY LIFE IN PRISON” Popular Inquiry 2: 67-77. 2021.

https://iris.unipa.it/retrieve/handle/10447/528262/1265750/DI%20STEFANO_Carceral%20Aesthetics%20POPULAR%20INQUIRY%202021.pdf

監獄のなかでの絵画制作などの芸術活動が、収監者の日常生活に与える影響について。日常美学は最近、「日常」とは結局誰にとってのものなのかという観点の見直しが進んできているようすで、この論文もその路線といえる。この論文でもデューイが引用されていて、環境と人との相互作用として芸術を捉えること、また美的なものをいわゆるアーティストの制作する「芸術」の限定しないことが、監獄での芸術制作を解釈する視点となると言われている。こういうデューイへの言及をいっぱい集めてきて、日常美学におけるデューイの位置付けについて整理したい。

映画

金子雅和監督「リング・ワンダリング」(2022年)

「東京の土地」に眠る忘れられた人々の物語が現在と交差する、という説明で、これは今後やりたい研究にとっても重要かもしれないと、イメージフォーラムに足を運んだ。結論から言うと私が思っていたのとは少し違った。もちろん、第二次世界大戦の東京、現代の建設現場など、「選手村」という単語で仄めかされる東京オリンピック2020など、東京は一つのテーマではあるのだが。しかし過去と現在の交差はテーマとして確かにあるが、sぽのなかでそこまで東京性みたいなものは強調されていなかったと感じた。御神木やニホンオオカミなども、記号的に用いられているように感じられ、土地や自然の記憶というテーマのもとで見てもあまり新味は覚えなかった。

岨手由貴子「あのこは貴族」(2020年)

ようやく観られた……とにかく逸子のことが頭から離れない。彼女があれだけ自由に生きるための手に職もまた与えられた環境によるものであって。しかも華子はするりと逸子のお手伝いをして、結局暮らせているようなのをみると、自分の自転車をあくせく漕いで走り回る美希からはやはり遠い。

今週の活動記録(2022年2月21日〜)

全体

今週はオンラインでのミーティングやウェビナーの聴講が多めだった。月曜日に都市美学関係の打ち合わせが一件とWOMEN: WOVENの次回イベントの打ち合わせが一件、木曜日に翻訳検討会が一件と東大の山本千寛さんがアンリ・ルフェーブルについてご講演されるのを聴いていた。こう書くとたった4件、そんなに多くないじゃん?というかんじがす流が、そもそも今週は天皇誕生日で4日間しか仕事できる日がなかったうえ、コロナ休園を食らってさらに1日減り3日間になってしまった。

そのほかやったことは大まかに2つで、ひとつは新書の準備。日常美学についての入門書だが、入門書でも自分の考えについても当然まとめる必要がある。今やっている章はだいたいプロットはできていて、そこをつないでいくための材料集めをしている。

もう一つは講義の準備で、ジョン・デューイ『経験としての芸術』そのものと、関連文献を読む作業。

ちょっと今、やることの種類が多くなりすぎているかんじがあるので、数を減らさないといけない。そのために、さっさとやれば終わることについては日を決めて一日で集中砲火的にやってしまい、やることを減らすべきかもしれない。

先日、子どもにたまごを見せたらものすごく喜んでいた。確かにたまごはとても美しいかたちをしている。

読書

Glenn Parsons, The Philosophy of Design (Polity, 2016)

新書の準備で再読。4年ぶりにきちんと読んだが、とにかく議論の筋がクリアで、育児しながら研究しないといけない休園の日でもメモを取りながらでも読めて感動した。モダニズムにおける機能主義の議論を哲学的に突き詰めていくさまは面白い。一切の表現を廃して機能的であることによって、むしろ対象が象徴性を帯びるという指摘は重要。

Glenn Parsons and Allen Carlson, Functional Beauty (Oxford University Press, 2009)

こちらも再読中。最初のほうの、美学史のなかで美と有用性がどのように結び付けられたり切り離されてきたりしたのかという整理が参考になる。今、わたしは主にイスという家具に注目して機能美について考えているのだが、哲学者はイスに座っている生き物だからなのか、機能美の歴史的議論のなかで具体例としてイスに言及されているケースはかなり多い。そしてよく見てみると、この本の表紙もイスが描かれているな。

西郷南海子『デューイと「生活としての芸術」: 戦間期アメリカの教育哲学と実践』(京都大学出版会、2022年)

デューイの思想がバーンズ財団とのコラボや、連邦美術計画などの実践のなかにどのように生かされていたのかを明らかにする書。特に連邦美術計画における、インデックス・オブ・アメリカン・デザインという取り組みが面白かった。18世紀後半から19世紀末までの日用品を手描きにて記録するもの。生活のなかに「芸術」を見出すデューイ的視点の実践と言える。私自身はデューイの『経験としての芸術』が日常美学の領域で参照されることの意義について考えたいのだが、この本は実践との関係のなかでデューイを捉える視点がとても参考になる。注やコラムから著者の息遣いが聴こえるのもたのしい。

ポエル・ヴェスティン著、畑中麻紀・森下圭子訳『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』(フィルムアート社、2021年)

600ページを超すトーベ・ヤンソンの人生と仕事に関する詳細な記述。昨年、映画「TOVE/トーベ」を観たがそれはあくまでフィクション的な要素も強いとのことだったので、もっと詳しく彼女について読みたいと思って手に取った(スナフキンのモデルとなったと言われるアトスとの恋愛関係の終わりは映画では非常に抒情的であったが、実際はもっとドラマ性のないものだったようだHighmore)。奇しくもこれを読んでいる最中にロシアが戦争を起こしたが、トーベもまたロシアとフィンランドの戦争によってその人生や創作を方向づけられている。絵画を本業としつつ、ムーミンやその他の執筆をして暮らしていく、その際どこでバランスを取るべきか悩む彼女の姿は、研究者として生きる私にも共感を持って見つめられるものである。家族や恋人を大事に思い心を砕きながらも、つねに自由であろうとする態度も、強く共感できる。

小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書、2021年)

SNSでシェアされていたウクライナ人のことばで、ロシアとの戦争は今始まったのではなく、もう2014 年からずっとロシアはウクライナを痛め続けているのだというものがあった。ロシアの論理、すなわちNATOが加入国を増やすことで少しずつロシアに対して力を行使しているのだからそれを抑制したい、ということ、ハイブリッド戦争というタームが一人歩きするなかでそれでもやはりロシアはまだ実戦をベースと捉えていることなど、特に前半は分かりやすく理解できた。

映画

ノマドランド(クロエ・ジャオ監督、2021 年)

フランシス・マクドーマンド演じる主人公が暮らしていたまちネバダ州エンパイアは、工場閉鎖に伴いまちそのものがなくなってしまう。家とコミュニティを失い、また夫も失った主人公は、自家用車を家にして仕事を転々としながら暮らす。車の家は、劇中彼女が訪れる二つの立派な家に比べるとよるべなさを感じざるを得ないが、たとえそこが車であっても、自分の大切なものが詰まれた車のなかで、自分の心を自分の「家」と考える主人公。大切な皿が割れても自分でそれを継いで元通りにする逞しさ。自分の居場所をなんとか、ギリギリのところで守るその生活をロマン化する姉の視線。多分この話は、今書いている新書でも言及することになる。とにかくマクドーマンドが良すぎて大好きだということも再確認。

浮雲(成瀬巳喜男監督、1955年)

名作なのはわかるのだが、個人的にはきつかった。もちろん戦争が誰にとっても等しく傷になっているのだそうが、しかしそうだとしてもこれはただただ冨岡が嫌な男だという話としてしか受け止められず、愛とか悲劇とか何も感じられなかった。ただもうこれは好みの問題だと思う。

乱れる(成瀬巳喜男監督、1964年)

同じ成瀬でもこちらはすごく好きだった。スーパーマーケットが押し寄せてきて、もう「戦後」ではなくなろうとする時代に、戦争をどのように経験したかということに決定的なズレがある主人公たちがどうしても結ばれない様子。こちらは悲しい、と思った。清水から銀山温泉への鉄道の旅。「浮雲」の伊香保よりはっきりとその地名の理由などに言及される銀山温泉は、観光的なものの発展を感じさせる。結局すべてを失って家に残された、常にどうしていいかわからない母親はあのあとどうなるのだろうか。娘たちのどちらかが引き取るのだろうか。ところで私の母は1963年生まれ。清水と東京ではまた様子が違ったのだろうが、この頃すでに母が生きていたと思うと驚いてしまう。

今週の活動記録(2022年2月14日〜)

日々の読書や映画の記録を週単位でつけてみようと思う(「今週」とはアップした日を指さず、タイトルの括弧書きの月曜日が先頭となる1週間のことを指す)。

全体

ずっと懸案だった英語論文の執筆が一段落。代わりに新書の執筆が進んでいないが、しかしこの英語論文は最終的に新書の今書いているのとは別の章に組み込まれるので、新書全体で見れば進んでいる。ほかの進捗として、とある仕事で都市美学についてまとめている。これも自分が都市美学という枠組みで考えたいことをまとめるのに役立ち、今後数年間の研究の指針が見えてきている。

講義の準備はあまり捗っていないというか、単純に時間が取れていない。2022年度の前期は3コマで、うち2つが全く新しい内容で、片方は講義、片方は文献講読。1つは自分のこれまでの研究を俯瞰するようなもので、話すことはほぼすべて決まっているが、スライドは作る必要がある。ひとまず、新しい講義の準備は学期半ばの分までは終わらせたい。文献講読のほうは丁寧に扱う文献を読み、さらに関連する話題で他の文献もあたる必要があるので、春休みの残りはこれに結構時間を使いたい(最終的に新書の内容と関わるし、この文献講読の成果から1本学術論文も書きたい)。

子どもは元気で毎日保育園へ行ってくれたので、とてもよかった。うちの保育園はまだ入園以来一度も休園していない。運がいいのだろうか。子がなぜかわたしではないとだめ、ということが増えていて、夫はかなり育児しているのになぜ…となることがある。しかも最近、「たーたん」と、明らかにわたし=お母さんのことを意味する言葉を発し、こちらを見て呼びかけてくる。あらゆる関係においていかなる呼びかけや求めにも応じる必要があるとは当然言えないが、こと親と子という関係においては、特に子から親への呼びかけには応じる義務があるようにわたしには感じられてしまう。泣き声ではなく、名前のようなもので呼ばれると余計にそう思う。

読書

高橋絵里香『ひとりで暮らす、ひとりを支える−−フィンランド高齢者ケアのエスノグラフィー』(青土社、2019年)

フィンランドがすきなので、あまり自分の専門分野にこだわらずフィンランド、とつく本は結構読む。高齢者ケアのエスノグラフィーということで、自分の研究にはあまり関係ないような気もしたのだが、この本は第一章のタイトルが「風土」。群島町を含むフィンランドは冬の寒さが厳しく、また日照時間が短いことで知られる。また逆に、夏は白夜とまではいかずとも23時くらいまでは明るい。こうした気象条件が高齢者の意思決定や暮らしに及ぼす影響について記録される。独居の高齢者が、夏はそれを「自由」と受け止めても、冬には同じ状況が「孤独」に感じられるというように、自然のサイクルと人の気持ちのサイクルが連動することがある。それすらも「自然な」過程として受け止めるところに、高齢者の自己像や、それを理解して対応するケアワーカーの姿勢が生まれくるのではないかと著者は言う。この点は、環境美学者の視点からみても、興味深いものであった。

Richard Shusterman (ed.) Bodies in the Streets: The Somaesthetics of City Life. (Brill, 2019)

全部は読んでいなくて、序文とシュスターマン本人の論文にあたる1章のみひとまず。シュスターマンの論文は、人間の身体と、都市が共通して持つ特徴を挙げながら、群衆の持つ意味について語るもの。群衆は塊で見ると画一的にも思えるが、当然個々の人には多様性があり、互いの多様性をみることがさらにそれぞれの人に自己創造の機運を高めていくという指摘は面白かった。

北山恒『都市のエージェントはだれなのか』(TOTO建築叢書、2015年)

都市の美学をやりたいと思っていて、そこで都市という場所を「つくる」のはだれ/なにかという問題を考えたいと思っているので読んでみた。パリやシカゴ、ニューヨーク、そして東京の都市形成の歴史から、そこで都市をつくっているエージェントと呼べるものは何かを分析する。都市計画領域の文献をどんな観点から今後読んでいくかを考えるための参照点としてよかった。

平芳幸浩『マルセル・デュシャンとは何か』(河出書房新社、2018年)

数年ぶりに、授業準備のため再読。この本を読むと毎度デュシャンを読み解くことの楽しさに気付かされるので好き。今回はレディメイドを中心的に扱う講義をしようと思っているでそこを中心に、と思うのだが、アートではないなにかを作ったり、作品制作ではない仕方でアートと関わるデュシャンが面白すぎてその章ばかり読んでしまう。

映画

女が階段を上る時」(成瀬巳喜男監督、1960年)

Netflixの成瀬作品視聴期間が月末に迫っているので、少しずつ観ている。最初に「めし」を観てその古臭い女性の幸福感に面食らってしまったのだが、この作品はもっと複雑に、未亡人が生活を成すために銀座のクラブで働き、客にも店にも家族にも金も心も搾り取られながら、それでも生きていく姿を描いていて興味深く観た。客の妻からの電話で主人公がその妻に会いに行って衝撃の事実を告げられるとき、二人の周りを三輪車に乗った子どもがくるくる回るシーンがすき。あと全体として音楽が良すぎる。佃島と銀座の対比が、東京という街の時間の多層性を見せる。

「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(ジェーン・カンピオン監督、2021年)

もともとNetflixで気になってはいたのだが、アカデミー賞の候補ということで観てみようということになった。あらすじを見てもなんなんだ?という感じだったが、実際はかなり引き込まれる物語だった。紙で花を作る途中のフリンジと馬のたてがみの形の呼応、繰り返し映る窓の美しさなど、映像としても好きだった。誰の視点に立つこともゆるやかに拒まれ、そのためか劇的な出来事が起きるにも関わらず、じわーっと静かな気持ちで終われる。

「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イブニング・サン別冊」(ウェス・アンダーソン監督、2021年)

ついに観られた…!!好きな監督を聞かれたらウェス・アンダーソンとグザヴィエ・ドランと答えることになると思う。そのくらい好きでずっと楽しみにしていた。「スリー・ビルボード」で素敵だなと思ったフランシス・マクドーマンドも出るし。雑誌の映画化、とでも言えばいいのだろうか。白黒とカラーの切り替え、実写とアニメーションの切り替え、字幕の使用のような技巧もすんなりと溶け込んでしまう。しかし彼の映画を見るとき、いつも英語が聞き取れれば字幕を読まないで済み、もっと美術を細かく観られるのに…と思ってしまう(犬ヶ島では部分的にその欲求が満たされるわけだが)。

一番は決められないが、わたしがウェス・アンダーソンで好きなのを3つ選べと言われたら(かなり悩んで)、「天才マックスの世界」「ロイヤル・テネンバウムス」「グランド・ブダペスト・ホテル」となっていたが、「フレンチ・ディスパッチ」もこれらの仲間に入ってしまいそうなので、いっそ「ファンタスティックMr. Fox」を加えて好きなの5つ選ぶ、というのに変えてしまおうかと思う。

今週はあまり趣味の本が読めなかったので、来週は読書にも力を入れたい。

学振PDの出産・育児②学振の採用中断制度

2020年5月、妊娠していることが発覚しました。この時点で、予定日は2021年1月8日と言われました。

このとき、どうにかしなくてはいけないこととして、大きく分けて3つのことがありました。今回の記事では、そのうち学振の採用中断制度について書きます。

学振PDの採用中断制度を利用するかどうか

学振特別研究員には採用中断制度というものがあります。これは、傷病や出産・育児などで研究に専念することが困難である場合に、研究専念義務を外れるための制度です。一般的な産前産後休業とは大きく異なり、採用を中断している期間は、一切の給与が支払われません。この点は非常に大きなネックとなります。

とはいえ実際のところ、特に産前というより産後は出産してすぐは体力的に、また育児の負担的に研究をするのはほとんどできません。また産前においても、私はたまたま大きなトラブルがなく陣痛がくる直前まで論文の手直しをしていましたが、切迫早産などハイリスクな出産となれば休養が必要になります。

私は結局、パートナーに金銭的に負担をかけることにはなりましたが、この制度を利用することにしました。

どのように採用中断制度を利用するか

一口に採用中断制度を利用すると言っても、いつからいつまで利用するのか、また後述のとおり「研究再開準備支援」の制度を利用するかどうかなど、決めることはまだあります。

まず採用中断の開始について。これは出産予定日から6週間前の日が属する月の1日から開始することができるとなっています。私の場合、2021年1月8日に出産するのであれば6週間前は2020年11月27日となるため、2020年11月1日から採用中断をすることができます。基本的に1日付で手続きをする必要があるので、この場合、11月1日からでなければ次は12月1日からということになります。どうしようかと思いましたが、早産などのリスクも考え、早めに休みということにしておけば気が楽と判断し、私は11月1日付で採用中断期間に入ることにしました(ただ実際は予定日を大幅に遅れての出産となりましたが)。

次に、いつ採用中断を終えて復帰するかです。これは採用中断前の手続きで指定しておいて、後から変更することもできますが、つまりいつから保育園に預けて仕事を再開するかということなので、計画はしっかりしておく必要があります。私の場合、2021年3月までが学振PDの期間なので、2020年11月から休むと残りの任期を5ヶ月残しての採用中断になります。この5ヶ月をどう使うかが鍵だと考えました。

そこで先に少し述べた「研究再開準備支援」の制度が出てきます。この制度は、「出産・育児により研究に十分な時間を割けない者や、採用の中断から本格的再開に向け、短時間 の研究継続を希望する者」に対するもので、要はいわゆる時短勤務をする期間をつくるみたいなイメージです。この制度を使っている間、給与は半額になりますが、任期は倍になります。…という説明だと若干雑になりますが、具体例を使って説明するとこうなります。研究再開準備支援を使わなければ、私の残り任期は5ヶ月フルタイムで、ということになります。私の場合はこの残り5ヶ月のうち2ヶ月ぶんに研究再開準備支援を適用することにしました。

2021年9月〜2021年12月 研究再開準備支援の期間

2022年1月〜2022年3月 ふつうにフルタイムの期間

というかんじです。5ヶ月のうち3ヶ月は通常復帰、2ヶ月を研究再開準備支援に振り分け。研究準備再開支援の期間は2ヶ月ぶんの給与を4ヶ月に分けて受給しながら、時短で勤務ということになります。半額だとDC以下の金額になり、保育園代もかかるので結構厳しいのですが、0歳児での復帰になるので最初は保育園を休んだりすることも多いだろうし、慣れるまでは早めに迎えに行ったりしたいと思ったので、このようにしました。実際、子どもの世話の面だけではなく、このようにすることでペースはゆっくりでも研究をできる期間自体は伸びるわけなので、精神衛生上もすごく良かったと感じています。

学振PDの残り期間が5ヶ月とごく少なく、2022年度の仕事が白紙の状態での出産・育児期間への突入でした。2021年度の途中、中途半端なときに研究上の身分がなくなるのは避けたかったですし、保育園のこともあったので、「2022年度の仕事はなんとかするとして、2021年度の年度終わりが学振PDの任期終わりと重なるようにする」という前提で、2022年3月がお尻となるような復帰プランとしました。子どもが1月生まれなので、1歳になるタイミングでフルタイムに戻すということにして、そこから逆算して研究再開準備支援に何ヶ月を割り振るのかも決めました。

でもこの計算、すごくわかりづらかったんですよね…なので、学振の担当者の方に何度もメールを差し上げて、一緒に計算していただきました。これが一番間違いないので、自分の復帰プランを立てたら、それが可能なのかは遠慮せず問い合わせたほうがいいと思われます。

学振PDの出産・育児①学振PDになって

コロナ禍での経験ゆえ、あまり一般性の高い経験ではない気がするのですが、自分も妊娠してからというものネット上にある研究者の方々の経験を綴ったブログに助けられてきたので、備忘録も兼ねて自分が経験したことをシリーズ化して残しておきます。

わたしは2018年3月に博士号を取得、同年4月より学振PDとしてのポスドク生活を開始しました。この年に結婚もしています。いずれは子どもをとはすでに思っていましたが、自分としてはそれよりも先にしておきたいことがふたつありました。

ひとつは、博論の書籍化でした。わたしの研究分野である英米系の環境美学は、国内の先行研究が多くはありません。なので、博論を本のかたちで出版することには意義があるだろうと思っていました。ただ、そのためにはかなりの加筆修正が必要なことを覚悟していました。わたしは2014年に博士課程に進学、そして2017年11月に博士論文を提出しています。当時としてはまだ早めに出したほうだと思います。もちろん博士論文として全力を尽くしましたが、まだしっかり考えてみたい箇所があったことも事実です。さらに、大学への就職には単著を持っていることも重要だと散々聞かされていました。そのため、学振PDの期間での研究成果を盛り込みながらの書籍化を目指すことにしました。

もうひとつは、海外で研究をすることでした。わたしは学生時代、国際学会には積極的に参加していましたが、留学を一切していません。しかし、わたしの分野は国内での研究者が多くないので、今後の研究のために海外の研究者とのネットワークを作っておく必要を感じていました。幸い、フィンランドのヘルシンキ大学にて客員研究員をさせていただくことになり、大学の非常勤講師の仕事をすでに始めてしまっていたので長期休暇のあいだだけでしたが、2020年1月〜3月まで、ヘルシンキにて研究に従事する計画を2019年初頭より立て始めました。

もちろん、博論を出版することも、海外での研究も、子どもが生まれてからでもできないことではないと思います。ただ我が家の場合は、出産する場合、わたしがそれなりの期間仕事を離れることが大前提だったので、自分の気持ち的に絶対にやりたいと思っているこのふたつを実現してからでなければ踏ん切りがつかないと感じました。そんなこんなでわたしは学振PDの最初の2年間は、あっという間に過ぎて行きました。